どっちにしても

2001年9月15日
昼に起きて、洗濯して、買い物に行く車の中で携帯の電源を入れ、メールを受信したら珍しく弟から入っていた。
文面は一言「メール見たら電話くれ」そして時間が4:32となっていた。
「4時!? 真夜中かよ!」
ただ事ではないと、コンビニの駐車場に車を停めて弟に電話した。
すると、伯父が危篤という連絡があり、両親は横浜に向かったという。
「なんか連絡があったらすぐ電話して」
と頼んで電話を切る。

夕方6時ごろ父から直接連絡があった。
「…今亡くなった」

とりあえず明日実家に帰ります。
それにしても、今日は出かける予定が思わぬ事態でなくなっていたのだが、どっちにしても無理だったということなのね…。

どうしたって悪い日

2001年9月13日
すべての偶然がいい方向に流れるときがある。
自分はなんて運が良いのだろうと感じたこと、何度もある。

その代わり、「どうしたって悪い日」も必ずあるわけで…。

最近どうも機械の調子が悪いな、と思いつつも、だましだまし使ってルーチンは何事もなく終了。
今日はさっさと帰ってやらなきゃならないこともあったし、早めにシャットダウンの準備を始めた。

今週はどういうわけか火曜、水曜と2日連続で夕方5時過ぎに緊急で検体が出た。
でも、だから今日は大丈夫、と勝手に思っていた。
しかし、4時40分、電話が鳴って事態急変。
夕方、出血が始まった患者を内視鏡室で処置していたが止まらないらしく、検査と輸血の依頼が来た。

今日はどうしても7時には帰りたい。
まだあと2時間ある。大丈夫大丈夫…と自分に言い聞かせるも、2年前の夏のことが頭をよぎる。

2年前の夏、私は輸血の担当だった。
ある日、やはり出血した患者が、血管造影室で処置されていたのだが、とにかく出血がひどく、何度も輸血を運びながらずっと検査室で待機した。
この日、患者が落ち着いて私が病院を出たのは夜中の12時半だった。

いつもなら、今日はどうしても用事があるから、と言って誰かに待機を頼むこともできたかもしれない。
でも、今日に限って人がいない。
よりによって今日は「臨床検査自動化学会」という大きな学会のメインの日で、学会に行った人たちを欠いての仕事だった。
フロアーは普段10人のところ、4欠の6人、しかも、うちふたりは新人。
…ダメだ、帰れねえ。

泣く泣く検査室で待機。
こんな時のために常備してあるカップラーメンをすすりながら、待機解除になるのを待ちつづけた。


8時半を過ぎて、最後の電話が鳴った。
夜間分の輸血を準備して、待機解除との知らせ。

あまりのことにカーステレオをつけるのも忘れて車を運転する私の頭の中に歌が鳴り響く。

「誰にだって訪れるさ どうしたって悪い日は〜」
  (♪ONE DAY/CHAGE&ASKA)

明るい曲調の歌なのに、こんなに寂しく響いたのは初めてでした。
フラメンコを気持ちよく踊り、いい汗かいて10時半過ぎに帰宅。
コーヒーでも飲むか…と台所に立つと、口が開いたままの牛乳パックが置いてあった。

「あれ…? まさか…」
持ち上げてみると、まだ半分以上中身が入っている。
そりゃそうだ、昨日開けたばっかりなんだから。

やってもーた。
今朝、寝ぼけながら飲んで、冷蔵庫にしまい忘れた。
台風一過、最高気温33℃(昨日の予報では)にまる1日置いてしまった牛乳…。

さすがに飲む気にはなれず、泣く泣く捨てたさ。
そして、これは今日が初めてではない。

学習能力なし。

久しぶりに採血話

2001年9月11日
フロントガラスに吹きつける雨。
「前見えねえよ!」
と叫びながらの出勤。

外は嵐だし、こんな日は患者も少ないだろうな〜なんて考えは甘いのだ。
どういうわけか、患者ってやつは台風だろうが雪だろうがやってくる。
そりゃあ普通の病院だったら分からんではない。病気は待っちゃくれないからね。
でも、ウチは外来は予約制の特定疾患病院だよ?
癌の手術のフォローで、3ヶ月に一回検査のために来院なんて人が、「いや〜、今日はすごい雨でねぇ」なんて言いながらやってくる。
いいじゃん、予約来週に入れなおせば。

などと文句たれてても仕方がないので採血に行く。
それでも火曜日は外来もそれほど多くない。採血も採っても採っても患者が並んでいるというほどは混まない。
余裕かましていたんだけど…。

ものすごく難易度が高い採血だった。
血管が見えない人、針を刺すと血管が逃げる人、血管に入っても途中で採れなくなる人がたてつづけにやってきて、いやな汗を書きながらの採血になった。
だったらジャンジャンバリバリ切れ間なく、患者の顔を見る間もなく採ってる方が気は楽なんだよね。

しかしまあ採血も慣れたもので、失敗しても、「血管細いんですね〜」とか、「血管が硬くなってて逃げちゃうんですよね〜」などと、上手に患者のせいにしながら、なんとかこなしていけるようになった。
とにかく弱いところを見せちゃいけねえ、私は採血ベテランですって顔をしてやってればどうにかなるもんだ。

そんなこんなでようやく採血の時間が終わろうとしているころ、本日のラスボス登場。
69歳のオバちゃん(おバアちゃん?)。
採血の難易度も高いのだが、私が必死で血管を探している間、トークが止まらない。
こういう人っていつもはとてもありがたい。
適当に話を合わせながらゆっくりじっくり血管を探せるから。
でも、今日のオバちゃんは「ここは採れない、ここで前に採ったけど、途中で出なくなって…」と、注文がうるさい。
さらに、「よっしゃ」と決めていざ針を刺そうとしているのに、トークが止まらないから針が刺せない!
集中している時に、話し掛けないでお願いだから。
終わってもすぐ帰らないし…。
そして待合に出てからも、他の患者とでかい声で話しているのがずっと聞こえていた。

私の中のブラックリストに登録。
「スピーカーオバちゃん・69歳。マシンガントークに要注意」

FACE

2001年9月10日
「反省は毎日で 悔やまれることが多すぎて」
         (♪FACE/globe)

朝から午前中いっぱい、この曲が頭の中を流れつづけていた。

今、私がいる血液検査室。
技師は3人。
Kさん・50代前半・女性。フロアーのボス。半分は管理職の仕事。
Sさん・40代後半・男性。今年四月から血液に異動。
そして私・20代後半・血液2年目。
…働くの、私しかいねーじゃん。

月曜の朝の忙しさの中、機械を立ち上げて、検体を取りに行って、精度管理して、また検体を取りに行って、機械のトラブル直して…。
Sさんは畑違いの病理検査室が長かったので、なかなか検体検査には馴染めないでいる。仕方がないことなんだけど、手が遅いし、要領も悪い。
Kさんは機械の方がイマイチで、ちょっとトラブると「おかしいおかしい」って大騒ぎ。こっちも仕方がないってわかってる。だってKさんはウチの母親と同い年。母はビデオの予約もできないんだから、ワード・エクセルで会議の資料が作れるだけ、たいしたもんだと思うよ。

わかってるんだよね…よくわかってる…。

でも、ただでさえ朝は余裕がない私。
ふたりを見ているだけでイライラが止まらない。
Kさんが機械の前で騒げば無言で近付いて何も言わずにさっさと直す。教えるのも、めんどくさい。
Sさんが検体を持ってウロウロしていると、「そこに置いといてください」と冷たく言い放つ。
見るからにトゲトゲしてて、周りに近づき難いオーラをまき散らしているのは自分でもよくわかってる。
背中で「話し掛けるんじゃねえ」って言ってる…とはM談。

そして検体が落ち着く10時半過ぎになると、いつもいつも反省してる。
また今日もやっちゃった…って。

イライラしながらトイレに行って、鏡を見て驚いたことがある。
…ものすごく険しい顔してた。

もう少し、他人に優しくなれたらいいのにな。


こんな日に限って夕飯に付き合ってくれる人もいなくて(台風だしね)、家へと車をとばすいつもの帰り道。
仕方ない、今日はなに食べようって考えながら、
「♪玄関のドアを1人で開けよう」(FACEのラスト)

臨床検査技師免許証には取得時の厚生大臣の名前が記されている。

私より2年下のMの技師免には、「管直人」
そして同期だが4年下のAのは、「小泉純一郎」

…なんかうらやましい。
またTの家でメシを食うことになった。
こいつの料理、ほんっとに美味いのよ。

今回のメニューはなんと餃子。
一人暮らしで餃子を作るってところがさすがTだ。
Tが餃子を作ったという話を聞いたとき、「私も包んでみた〜い」と言ったのがきっかけだったのだが。

で、前回(あ、先週の土曜日だ)はシュークリームを買って持って行ったのだが、今回はちょっと私もがんばった。
デザートを作っていこう!
なんて思ってしまったのである。

何を作るかいくつか候補はあったのだが、Tはフルーツのコンポートみたいなのが苦手。
今回はTとふたりではなく、同期のAも一緒ということで、Aの苦手なチーズもダメ。
当日の午後作るとなると、焼き菓子では冷ます時間がない。(それにTが「唾液がとられる食べ物はあんまり好きじゃない」と言っていたのでスポンジっぽいのはやっぱり却下)
というわけで、メニューは「バナナのムース」に決定した。

午前中にカイロに行き、その帰りに材料を買い込んで、家に帰って一休み…のつもりが、気がついたらもう3時。
まあ、1時間もあればできるだろう…とのんびり始めたのだが…。

開始後15分にして、メニュー選びを誤ったことに気付いた。
バナナの裏ごしがハンパじゃなく大変!!
万能こし器に入ったバナナをゴムべらで押し付ける。
が、なかなか下に落ちてこない。
もっと押し付ける。
さらに押し付ける。
まだまだ押し付ける。

あああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜。
ねっとりかよ!(←なぜか三村ツッコミ)

1時間かけてようやく裏ごし終了。
手はベタベタ。
持病の腱鞘炎も痛む。
もうイヤッ!

その後は順調に進み、無事ムースは完成した。
しかし地獄はまだ残っていた。
洗っても洗ってもこし器の目に詰まったバナナが取れない。

もう二度とバナナの裏ごしはしません。
Tが市で行っている短期のテニススクールに通うという。
T「松岡修造みたいなコーチに教わりたいなぁ」
私「え? 好きなの? 松岡修造」
T「…イヤべつに」
なんだそれ?

1回目のレッスン後。
私「どうだった? 松岡修造みたいなコーチだった?」
T「松岡修造っていうか…こぶ平?」
だいぶ違いますよ、それって。


ウチの姉さんたち

2001年9月6日
30代半ばの先輩技師さんたちが、今までに出会った忘れられない患者の話をしていた。

Tさんの話。
ボケてしまって自分が女だと思い込んでしまったおじいちゃん。
「心電図とろうと思ったら、ブラジャーしてるし、女物のパンティーはいてるし、『今日生理だから』なんて言うのよ」
生理もあるんですか…。

Kさんの話。
やっぱりボケてしまって心電図をとろうとしたら暴れだすおばあちゃん。
懸命に抑えようとする病院スタッフ。
「そしたら周りで見てた家族が『さ〜く〜ら〜 さ〜く〜ら〜』って一斉に歌いだしたの。その歌聞くと落ち着くんだって。それから一ヶ月くらい、ICUに『さくらさくら』が響き渡ってたよ」
歌う病棟…。

さすがに芸歴が長いといいネタを持ってらっしゃる…。
いやぁ、まだまだ若手ですわ、私。

同窓会の案内が来た。

日時、場所、会費が書かれ、最後に付け加えられた一言。

「お子様連れでいらっしゃる方は事前にご連絡ください」

そっか…。
もうそんな年齢なのね…。
「佐倉さん、治験事務局から、えーと…(メモを見ながら)絨毛性ゴナドトロピンのサブユニット定量と、尿試験紙法の検査ってできますかってお電話なんですけど…」
新人のSが訊きに来た。
「治験」というと、一応検査部では係の私のところになんでも来てしまうが、今回の検査項目は外注で、さらにオーダリング端末から依頼できるかという質問だったので、折り返し電話すると言って一度電話を切った。

近くには上司Fさん。
「Fさん、HCGの試験紙法って院内でやってます?」
「えー…前は婦人科の外来でやってたんだけど、オーダリングになってからはどうだったかな…」
そこに通りかかったオーダリング担当のKさんをつかまえて、Fさんが訊く。
「HCGの定性ってオーダリングに入ってた?」
Kさんはすぐに端末をひらいて調べてくれた。
「あるよ。院内でやってる」
「試薬って検査部にはないですよね?」と私。
「婦人科の外来においてあるんじゃない? 外来の看護婦さんに電話して…」
言うか言い終わらないかのうちに、せっかちなKさんは受話器を取っている。
が、時は夕方、もう外来は終わってしまったらしく、誰も電話に出ないらしい。
「ちょっと処置室で訊いてみるよ」
言いながら処置室に続く階段を降りて行った。さすがせっかちなKさん。(電話も数コールで「出ない!」って切ってたし)

騒ぎ(?)を聞きつけて、先輩Uさんともう1人の新人Nが集まってくる。
「どうしたの?」
「今、治験事務局から電話で…」
と、私が説明し始めた時、Kさんが嬉しそうに走って戻って来た。
「佐倉さん、あったよ!」
はい、と渡してくれるHCG定性試験用試薬。

一般にいうところの「妊娠反応試験紙」
べつに持ってこなくてもよかったのに…もう、せっかちなKさん。

「…佐倉さん、相談には乗るから」
Uさんが肩を叩いてくる。
「ち…違いますよ! 治験で使うからっ…」

…なんて必死で弁解するような純情キャラじゃないんだな、悲しいことに。
「絶対Uさんには相談しませんよ。一時間後には病院中に知れ渡るじゃないですか」
「あ、わかった? 院内メーリングリストで全職員に流すって」

検査部では大爆笑で終わったのだが、処置室では「検査部でHCGの試薬を借りていった」という話がちょっとした問題になった…とか、ならないとか(笑)

吃驚!

2001年9月2日
何に驚いたって、ここのカウンター(↑)がなぜか二桁になっていたことですね。
文字通り、一から出直せっていうことでしょうか。
心、入れ替えます。

午前中カイロに行って、終わったのが12時。
外で何か食べちゃおうかな〜と、スーパーをウロウロしていたらTから電話がかかって来た。

T「今すぐ来られない?」
私「今どこよ!?」
T「環状線沿いの××(ホームセンター) テーブル買いたんだけど、車に乗らないの〜」
私「今日仕事でしょ? 昼休み何時まで?」
T「3時までだけど、無理だったら夕方でもいい」
私「…分かった、すぐ行く」

たしかにTのツーシーターじゃ乗らんだろうよ。
しょうがないからTのところへ直行。
そしてTに会っての第一声。
「…あのさ、付き合ってるんじゃないんだから、朝抜きで出かけてこれから昼飯食おうとしていた私を呼び出すなよ」

でかい荷物を私の車に積み、Tの家に運んだ。
そのかわり、7時過ぎにTが夕飯を作って待っていてくれるという。

で、一度帰って夕方再びTの家へ。
途中でシュークリームを買おうと、昼間のスーパーに寄ったら、彼氏と買い物をしていた同期のAに偶然遭遇した。
なんだよ、もう。Tの家でご飯食べるだけだと思ってたから思いっきりスッピンだよ、私。

それもショックだったが、Tの家に着くと、すっごくいい匂いがして、ちょうど夕食の支度が終わるところだった。
食卓にはナスとひき肉の炒め物とサラダときんぴらが並んでいた。
「今ご飯あっためるから」
「私、彼氏?」
…大爆笑。

その後、なぜか人生について語り合う。

なんだこのふたり。

逃亡日記・3日目

2001年8月27日
朝7:00。
いつもは布団の中でうだうだしているのに、目覚ましと同時にスパッと起床。
まだ目を開けようともしないKをよそに顔を洗い、軽く化粧(後でなおすつもりだったが時間がなくて1日そのまま)、持ってきていた服を適当に組み合わせて着替え、ようやくKが起き上がった7:30
「じゃ〜ね」
っと爽やかに玄関を出た。

ここからは勝負です。
朝飯も食わずに高速を120キロでぶっとばす。
途中眠くなってきたが、カフェイン(錠剤)を飲んで長い下り坂を130キロでぶっとばす。
カフェインの利尿作用のせいか、水分を取っていないのにトイレに行きたくなってきたが、「花園出口渋滞中」の電光掲示板が気になり、SAも無視してとにかくぶっとばす。
高速を下りてからも、緊張感からかまったく腹が空かず、とにかく先を目指した。

ほぼ予想通りの時間に埼玉県内の駅近くの駐車場に着いた。
しかし時間の余裕は少しもない。
昨日買ったパンを1個、ウーロン茶で流し込み、早足で駅に向かう。

目指すものはただひとつ。
ネプを見たい。
大好きな「ちゃんネプ」の収録が見たい。
その一心で休みなく移動を続ける私。

我ながらすごい情熱。

おかげで夢のような楽しいひと時を過ごすことができました。


さて、闘い終わって日が暮れて、一緒に収録を見た友達二人とも別れて、ここからがまた一時の猶予もない移動時間の始まりだった。
今度は「ちゃんネプ」の放送時間に間に合うか合わないかという微妙な時間になってしまったのだ。

電車の時間はどうにもならない。
となると、またアクセルで時間を取り戻すしかない。
車をスタートさせてすぐ、実家とKに電話。(運転中の携帯電話の使用は禁止です)

まずは実家に「帰らないコール」
母「今どこにいるの?」
私「…ちょっと、話せば長いから後で」
そりゃそうだ。長野から栃木に帰るのに、埼玉は経由しないからな。
しかしまた帰れなかったなぁ。

Kには「ちゃんネプのビデオ録っておいてコール」(すまんK、でもありがと)

いつだったか、やっぱりこんなふうに焦ってこの道を通ったことがあったな。
たしかそのときもネプの観覧に行って、ネプの番組に間に合いそうもなくて、スピード違反を恐れつつ走ったんだよ。

成長ねえな、私。

そのときもたしかギリギリ間に合った。
今回も本当にギリギリで間に合った。
さて次回、三度目の正直か、二度あることは三度あるか。

無事チャンネプを見てから、夜中の3時までチャット。
ここまで含めて、実に満ち足りた休日だったよ。

すべての欲求が3日で満たされたな。
大満足♪

逃亡日記・2日目

2001年8月26日
2日目は、軽井沢のアウトレットモール、軽井沢プリンスショッピングプラザで買い物三昧よ〜ん。

店が開くのは10時からだが、その時間では駐車場がいっぱいになってしまうというので、早めに出発、早めに到着。
私たちにしては珍しく、30分前には駐車場に入った。
しかし、すでにどんどん客は集まり始めていて、駐車場の入り口はプチ渋滞。
さすが軽井沢…。

開店を待って早速買い物を開始。
来るまで来ていることの良さは、なんといっても買った荷物を持ち歩かないで済むことなのね。
いい場所に車を停められたので、買っては置きに行き、を繰り返す。
…って、これ、すっげえ危険なんじゃねぇ!?
どれだけ買ったか分からないよ。

私の買い物の得意技・「買って即使う」もしっかりやった。
出かけた時は普通のショルダーバッグだったのだが、買い物するのに両手使いたい!ということで、ベネトンでリュックを購入。
すぐに車に戻り、荷物を入れ替え、手ぶらで颯爽とお買い物。
らくち〜ん。
そしてこのリュックは翌日も大活躍することとなる…。

4時前に買い物を終え、今度は旧軽井沢の「フランスベーカリー」というパン屋さんへ向かう。
ワケあって、どうしてもここに行きたかった。
理解してわざわざ連れて行ってくれたK、ありがとう。
残念ながら、一番の目的だったフランスパンは大人気のため売り切れ状態、次の焼き上がりまで待つ時間はなかったので諦めたが、おいしそうなパンをたくさん購入。
パン大好きなのよね。でも、いつ食べる気なんだろう、私。

雨も降ってきたため軽井沢を撤収した。
ちなみにこの時点で、私は朝も昼も食事抜き。
ソフトクリームとジュースだけで動き回ったせいか、ふらふらして来た。
まだ6時前と早かったが、夕食を食べてしまうことにする。
ところが予定していた洋食屋さんに行ってみたらなんと定休日。
日曜日なのに?と思ったが休みなものは仕方がない。
洋食の予定が一転して蕎麦に変更。旨かったからいいけどさ…。

酒とつまみを買って帰り、Kの部屋で飲む。
いつもだらだらと飲んで食っているうちに、寝る準備が面倒になってどんどん後回しになってしまうので、今日はちょっと順番を変えてみることにした。
まずお風呂に入り、布団を敷いてしまう。
これで眠くなったらすぐに寝てよし!
Kは翌日仕事だしね。

そんなこんなで9時を過ぎ、お腹もいっぱいになってきた頃、Kがお気に入りHP巡りを始めた。
私もチェックしたいサイトがある。
Kにお願いして見せてもらうことにした。

そこで大変な事実を知ってしまう。

「明日、ちゃんネプの公開録画? マジかよ…」
でも無理だよ。だって明日は月曜日だし。仕事休めない…って、休みじゃん!
でもやっぱり無理だよ。だってここは長野だし。車だし。
いや待て、車はどうにかなる…問題は場所がよく分からないってことよね。
間に合うのかどうかも分からない…。
明日は一応実家に顔を出す予定になっているし…。

「どーしよぉー」
頭を抱える私。
「行きたいけど、行けないかなぁ。どうかなぁ。頑張れば…いや、でも諦めるか?」
と、ワケのわからないことを口走り、布団の上を転げまわって苦悩する私。
さぞかしバカな姿だったろう。
「NO〜!」とか言ってたし。
そんな私の背中をKが押してくれた。
「行かないと、きっと後悔するよ」

そうなんだよね。
やらずに諦めて、やっぱり行けばよかったと後悔するより、行ってみて、やめとけばよかったって思うほうがいいよね。
というか、絶対に「やめとけばよかった」なんて思わないよ。ちゃんネプの収録に限っては。

心は決まった。
「もう寝る」

予定時間より30分早く起きることに決め、その日は12時前に休んだ。
この30分が翌日の私の運命を左右することになるとは…。

逃亡日記・1日目

2001年8月25日
朝、7:30までに起床、8:00に長野に向けて出発。

というのが前日に立てたプランだった。
が、7時から3回に分けてセットしておいた目覚ましを全部止め、気がついたら時刻は8:32。
もう、焦りも何もなし。
あ〜あ、まただよ…って程度。
結局9時少し過ぎにようやく車のエンジンをかけた。

順調に進めば目的地までは4時間半の道のり。
よく知った道だし、迷うこともない。
長野で待っている友人Kには「お昼頃には着く」なんて言ってあるが、すでに絶対間に合わない時間なので、逆に急ぐこともない。
お昼頃電話して、「各自で食事ね」って言えばいいや。

しかし、夏休み最後の週末を私はナメきっていた。
高速は一切使わず、栃木を出て群馬を通り長野に入るという道で行くのだが、栃木を出る前に1回目の小渋滞。
嫌な予感を抑えつつ、群馬へ向かう国道に入るが、やはり車の量は多い。
そして渋滞。
12時近くになり、もうすぐ車も流れそうなところまでたどり着いたので、コンビニに車を停めてKに電話をする。
「…もしもし、…うん、今前橋。すっごい渋滞でぇ、遅くなりそうなんだ。もうお腹空いちゃったから、なんか買って食べちゃうね」
自分の寝坊の事は一言も言わない私。
大丈夫、Kはそういう細かいことには気付かないから。

そこから先は順調に流れ、多少の混雑はあったものの、2時少し過ぎには無事Kのアパートに到着した。
Kのところに来るのはたしかもう4年ぶりくらいだ。
そんなに経つかな〜なんてちょっと感慨にふけりつつ、呼び鈴を押す。
「いらっしゃ〜い」
と、快く迎えてくれたKだったが、私は玄関から見える部屋の中を見て驚いた。
「ねえ…すっごくモノが増えてない?」
私の記憶にあるKの部屋は、もっとスッキリしてて、自分もモノを減らさなきゃって気になったんだけど…。
「何日か前までは床が見えなかったんだ」とK。
マジかよ…。まあ、それに関しては人のことは言えないので、あまり突っ込まないことにするが…。
「でもさぁ、ひとつだけ言っていい? 壁見えないよ!」

しかし学生時代から見慣れた家具や電化製品のあるこの部屋は実に落ち着く。
ただ、布団が二組敷けるのかは不安だが。

私の到着が遅れてしまったので、まず昼食という予定を変更し、なぜかカラオケに行くことにした。
時間が中途半端だったしね。
そして久しぶりのカラオケで燃え尽きたあと、今日のメイン(?)飲みへ。
しかし、交通手段のない田舎だけに、車で行って帰りは代行か、歩いて行って帰りはタクシーのどちらかを選ばなければならない。
で、なぜか30分も歩いて汗だくで飲み屋に入る。
…ヤバイって、吸収早いぞ。

この友人K、私と10年付き合っているのが信じられないほど、おっとりとしたというか、ちょっと天然が入った性格なのだが、ただひとつだけ、他の友人たちにはない共通点がある。

それは同じ「病気」持ちだということ。
何かにものすごく夢中になるということ。

‘恋愛以外の場において、こういう感覚でもってなにかを好きになれる人間と、そうでない人間が居るらしい’
これは8月24日の朝倉柳子さん(お気に入り参照)が日記に書かれていたことなのだが、本当にその通りで、好きなものを通じて出会った人以外でこのタイプの人間はコイツだけ。
コイツには何を言っても大丈夫、解ってくれる。
Kもそれは同じのようで、会ってからずっとそんな話ばっかり。

私はライブ、番組観覧、TVと、ずーっとネプの話。
Kはバイクのレースにハマっていて、好きな選手のこと、観戦に行ったことなど、ずーっとバイク話。

会話はぜんぜん噛み合っていないけれど、気持ちは解り合っているふたり。
話してスッキリ、日頃のストレス、全部解消。

…コイツと一緒にいたことが、2日後の私の行動を後押ししたようなもんよ。

逃亡1日目、飲んで食って喋って、満たされた気分で眠りにつきました。

5連休

2001年8月24日
今日から夏休み。
機械の調子が悪くて、今日直しに来るとか来ないとか言ってたけど、知ったこっちゃねえや。

・・・逃亡します。
肩こりと、背中の痛みと、腰痛がひどくなってきたので、久しぶりにカイロに行った。

で、施術の前に訊かれてしまった。
「あれ? 少し体重増えた?」

見て分かりますか。
最後に行ったのが去年の12月。
たしかにその頃より3キロは増えました。
しかし、一目見て分かりますか・・・。

カイロが終わったのが午後9時。
それからTに呼び出され、一緒にお腹一杯ご飯を食べた。

痩せられないって。

指先に秋の気配

2001年8月22日
…って、なんのことはない、手荒れが始まり、指先が指紋にそって「ピッ」と切れただけのことさ。
これから次の夏まで、この痛みとの闘いです。

アルコールがしみるんだよなぁ。

ぶりかえす痒み

2001年8月20日
駐車場へ向かう途中、Mが私の顔を指差し、
「おでこに蚊がとまってる!」
突然のことに
「は?」
と訊き返したことで反応が遅れた。
慌てて額を手で叩く。

私「叩いてくれればよかったのに!」
M「だっていきなり額叩いたら怒るでしょ」
私「なんでやねん!とか言ってくれれば『あ、突っ込まれた』って納得するよ!」
…絶対しないと思うが。

数分後、右の眉の上がぷっくりと膨れてきた。
Mが黙ってバッグからムヒを取り出して渡してくれた。
いつもながらこいつのバッグからはなんでも出てくる。

ありがたや〜

早口言葉

2001年8月17日
発作性夜間血色素尿症(ほっさせいやかんけっしきそにょうしょう)

実習生に教えるのが一番嫌な病気。

だってすっげぇ言い難い。

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