がっくり・・・
2004年7月31日ピアスを失くした。
一番お気に入りだったのに。
美容院に行った。
毎度のことながらピアスを外し忘れてたので、待ち時間に外してポケットに入れた。
帰ってきて、そうだ、ピアス付けなきゃとパンツのポケットを探ったが、両方ともなかった。
美容院から帰る前、おなかが空いたんでスーパーに寄ったんだ。
そこで1回だけトイレに入った。
ひょっとしたらあの時…と思い、車で40分かけてスーパーに戻ってみた。
あれから3時間くらい経っているだろうか。
もうないかもしれない。
ない確率のほうが高いと思う。
そしてスーパーに着いて、そのとき入った個室に入った。
片方落ちていた。
それから何度も何度も床を探した。
個室の外も探した。
全身が目になったみたいに集中して隅々まで探した。
なかった。
サービスカウンターに訊いてみた。
美容院にも電話してみた。
もう片方は、もう見つからないと思う。
残念だ。とても残念だ。
本当に、本当に気に入っていたのに。
しばらく立ち直れそうにないなぁ。
一番お気に入りだったのに。
美容院に行った。
毎度のことながらピアスを外し忘れてたので、待ち時間に外してポケットに入れた。
帰ってきて、そうだ、ピアス付けなきゃとパンツのポケットを探ったが、両方ともなかった。
美容院から帰る前、おなかが空いたんでスーパーに寄ったんだ。
そこで1回だけトイレに入った。
ひょっとしたらあの時…と思い、車で40分かけてスーパーに戻ってみた。
あれから3時間くらい経っているだろうか。
もうないかもしれない。
ない確率のほうが高いと思う。
そしてスーパーに着いて、そのとき入った個室に入った。
片方落ちていた。
それから何度も何度も床を探した。
個室の外も探した。
全身が目になったみたいに集中して隅々まで探した。
なかった。
サービスカウンターに訊いてみた。
美容院にも電話してみた。
もう片方は、もう見つからないと思う。
残念だ。とても残念だ。
本当に、本当に気に入っていたのに。
しばらく立ち直れそうにないなぁ。
1994 夏
2004年7月29日改札を出て、家まで向かういつもの道。
西陽に染まった街。
風は止まり、蝉の声だけがやたらと耳に響く。
じっとりと汗ばんだ体に貼り付いた服。
時間さえも流れずに、どこまでもまとわりついてくるような気がした。
ふと足を止める。
橙色に染まった街が、地面が、空が、ゆらゆらと歪んでいた。
すべての物の輪郭がなくなってひとつの色に溶けていってしまうような…
蝉の声だけが、いつまでも頭の中で鳴っていた。
そして気付くと、アパートの前に立っていた。
10年前の夏の日。
…熱中症?
西陽に染まった街。
風は止まり、蝉の声だけがやたらと耳に響く。
じっとりと汗ばんだ体に貼り付いた服。
時間さえも流れずに、どこまでもまとわりついてくるような気がした。
ふと足を止める。
橙色に染まった街が、地面が、空が、ゆらゆらと歪んでいた。
すべての物の輪郭がなくなってひとつの色に溶けていってしまうような…
蝉の声だけが、いつまでも頭の中で鳴っていた。
そして気付くと、アパートの前に立っていた。
10年前の夏の日。
…熱中症?
夏のボーナス皮算用
2004年6月21日4月に異動してからというもの、仕事が終わってまっすぐ家に帰ったためしがない。
疲れてるのに…
いや、疲れてるからこそ、どこかでワンクッションおいてから帰りたい、そんな気分。
通勤距離が長くなった分、誘惑が増えたってこともあるだろうな。
おかげで毎月買い物しすぎてピンチです。
忙しさのあまり、もうすぐボーナスだってこともすっかり忘れていたっていうのも私にしてはありえない。
たいてい4月頃から計画的に使い込み(夏のボーナス一括払い)が始まり、6月に入ればいくらくらいもらえるか予測して、使い道を書き出したりする。
予測も「楽観的」と「悲観的」の二種類作る熱の入れようだ。
なのに今年ときたら…ボーナスをどう使うか、ひとつも決めてないなんて!
こりゃ〜なんか大きな買い物できるんじゃ…?(ワクワク)
・・・と思ったら、「使っちゃいけない口座」から「借りて」いた、自分への借金が10万近くなってました。
やっぱり使い込んでたよ…。
疲れてるのに…
いや、疲れてるからこそ、どこかでワンクッションおいてから帰りたい、そんな気分。
通勤距離が長くなった分、誘惑が増えたってこともあるだろうな。
おかげで毎月買い物しすぎてピンチです。
忙しさのあまり、もうすぐボーナスだってこともすっかり忘れていたっていうのも私にしてはありえない。
たいてい4月頃から計画的に使い込み(夏のボーナス一括払い)が始まり、6月に入ればいくらくらいもらえるか予測して、使い道を書き出したりする。
予測も「楽観的」と「悲観的」の二種類作る熱の入れようだ。
なのに今年ときたら…ボーナスをどう使うか、ひとつも決めてないなんて!
こりゃ〜なんか大きな買い物できるんじゃ…?(ワクワク)
・・・と思ったら、「使っちゃいけない口座」から「借りて」いた、自分への借金が10万近くなってました。
やっぱり使い込んでたよ…。
うわあぁぁぁ久しぶり。
2004年6月20日4月から職場が変わりました。
医療じゃなくて環境の仕事してます。
県の職員なんで、異動はあって当然なんだけど、入職7年目にして初の異動。
そりゃもう大変だったさ。
まずは病院じゃなくなってしまい、今まで聞いたこともないジャンルの言葉と格闘。
知り合いがまったくいない職場で新しい人間関係の構築に一苦労。
通勤の距離も時間も倍以上になって、私が最も苦手とする「早寝早起き」をしなければならなくなるし…。
で、体を壊した。
現在投薬中。
毎食後3種類の薬を飲み、寝る前に別の薬を飲む。
ばーちゃんか!
薬のおかげでようやく体調が整ってきた。
っていうか普通の生活ができるようになってきた。
でも薬のおかげだろ?
あ〜あ、早く人間になりたい…。
医療じゃなくて環境の仕事してます。
県の職員なんで、異動はあって当然なんだけど、入職7年目にして初の異動。
そりゃもう大変だったさ。
まずは病院じゃなくなってしまい、今まで聞いたこともないジャンルの言葉と格闘。
知り合いがまったくいない職場で新しい人間関係の構築に一苦労。
通勤の距離も時間も倍以上になって、私が最も苦手とする「早寝早起き」をしなければならなくなるし…。
で、体を壊した。
現在投薬中。
毎食後3種類の薬を飲み、寝る前に別の薬を飲む。
ばーちゃんか!
薬のおかげでようやく体調が整ってきた。
っていうか普通の生活ができるようになってきた。
でも薬のおかげだろ?
あ〜あ、早く人間になりたい…。
恐怖体験・・・か?
2004年3月8日2月から、午後だけ病理検査室に「お手伝い」に行っている。
病理検査というのは、手術等でとれた臓器をいろいろと処理し、組織を顕微鏡で見て病理医が診断するための薄切標本を作るのが主な仕事である。
知らない人には何がなんだかわからない説明だと思うがそれでいいのだ。
そんなことは問題じゃない。
前々から、病理検査室には「誰か」いや「何か」がいる…と言われていた。
以前病理にいたYさんなどは実際「見える」人らしく、もう一人そういった感覚が強いらしいT先生と同じ「人」を見たとか言っていたこともある。
Yさんほどはっきり見なくても、人の気配がしたとか足音が聞こえたとか、そんな話題が耐えない検査室なのだ。
なんでかな〜。やっぱり臓器を扱ったり、解剖に携わったりするからなのかな〜。
でも、私はそういったものはまったく見えないし、感じない。
だからといって「そんなの気のせいだ」などと否定するつもりもないのだが。
見える人には見えるんだろうけど、私にはかかわりのない世界だよね〜…くらいに思っていた。
午後、仕事が一段落したので、私は机を背にして少しの間ボーっと椅子に座っていた。
すると、机に触れたわけでもないのに(机からは30センチは離れていた)床に何かが落ちた。
見ると机に置かれた顕微鏡の接眼レンズのカバーだ。
あれ? と思う。
カバーがかかってなくて、落ちそうな位置にあったのかな? 空調かなんかで落ちたのかな?
とくに気にも留めず、拾い上げてカバーをかけた。
ちなみにこのカバー、空調どころかちょっとの地震くらいなら構造上、まず落ちることはない。
不思議には思ったが、それ以上気にすることはなく、仕事に戻っていった。
そして夕方…。
後輩Hが話していた。
「さっきTさんが後ろを通ったなーと思ったんですけど、誰もいなかったんですよ」
するとTくん、
「今日は頭の後ろを引っ張られる感じがするんですよね」
そしてMまで
「私も今日は足音を何回も聞いた」
「ねえ…それってもしかして何かいる…ってこと?」と私。
「はい。今日はなんか活発なんですよ」
Hがこともなげに言う。
「やっぱり一昨日慰霊祭だったからですかねぇ」
なんだそれ…っていうかこれは病理の日常茶飯事なのか?
まぁいいよ。私は何も見えないし、感じないし…
あああーーーーっっ!!
さっきのか! あれか! たしかに誰もいなかった。落ちるはずのないものが落ちたよ。しかも誰かが投げたみたいに私の前まで落ちてきたよ。私の背中より後ろから? 自然に落ちたらああはならないよねならないよねあああああ。
「あのさぁ…明日から病理来なくていい?」
とはいえひとり暮らしのわたくし、まったく普通に帰ってきて、こうしてひとりで日記書いてます。
やっぱりさ、見えないものは見えないし、「別に悪さはしないから」とはYさん談。
病理検査というのは、手術等でとれた臓器をいろいろと処理し、組織を顕微鏡で見て病理医が診断するための薄切標本を作るのが主な仕事である。
知らない人には何がなんだかわからない説明だと思うがそれでいいのだ。
そんなことは問題じゃない。
前々から、病理検査室には「誰か」いや「何か」がいる…と言われていた。
以前病理にいたYさんなどは実際「見える」人らしく、もう一人そういった感覚が強いらしいT先生と同じ「人」を見たとか言っていたこともある。
Yさんほどはっきり見なくても、人の気配がしたとか足音が聞こえたとか、そんな話題が耐えない検査室なのだ。
なんでかな〜。やっぱり臓器を扱ったり、解剖に携わったりするからなのかな〜。
でも、私はそういったものはまったく見えないし、感じない。
だからといって「そんなの気のせいだ」などと否定するつもりもないのだが。
見える人には見えるんだろうけど、私にはかかわりのない世界だよね〜…くらいに思っていた。
午後、仕事が一段落したので、私は机を背にして少しの間ボーっと椅子に座っていた。
すると、机に触れたわけでもないのに(机からは30センチは離れていた)床に何かが落ちた。
見ると机に置かれた顕微鏡の接眼レンズのカバーだ。
あれ? と思う。
カバーがかかってなくて、落ちそうな位置にあったのかな? 空調かなんかで落ちたのかな?
とくに気にも留めず、拾い上げてカバーをかけた。
ちなみにこのカバー、空調どころかちょっとの地震くらいなら構造上、まず落ちることはない。
不思議には思ったが、それ以上気にすることはなく、仕事に戻っていった。
そして夕方…。
後輩Hが話していた。
「さっきTさんが後ろを通ったなーと思ったんですけど、誰もいなかったんですよ」
するとTくん、
「今日は頭の後ろを引っ張られる感じがするんですよね」
そしてMまで
「私も今日は足音を何回も聞いた」
「ねえ…それってもしかして何かいる…ってこと?」と私。
「はい。今日はなんか活発なんですよ」
Hがこともなげに言う。
「やっぱり一昨日慰霊祭だったからですかねぇ」
なんだそれ…っていうかこれは病理の日常茶飯事なのか?
まぁいいよ。私は何も見えないし、感じないし…
あああーーーーっっ!!
さっきのか! あれか! たしかに誰もいなかった。落ちるはずのないものが落ちたよ。しかも誰かが投げたみたいに私の前まで落ちてきたよ。私の背中より後ろから? 自然に落ちたらああはならないよねならないよねあああああ。
「あのさぁ…明日から病理来なくていい?」
とはいえひとり暮らしのわたくし、まったく普通に帰ってきて、こうしてひとりで日記書いてます。
やっぱりさ、見えないものは見えないし、「別に悪さはしないから」とはYさん談。
季節のことですよ。
2004年2月10日髪型を変えた。
約10年ぶりくらいかな、パーマかけたのは。
ふわっと春らしい仕上がりになって大満足。
メイクを変えた。
アイシャドーをパープル系からブルーに、口紅は深めのローズから少し明るいピンクに。
顔の印象がまったく違って見えるわけですよ。
春だから、とか関係なく、私は時々髪や顔を思いっきり変えたくなるのね。
本当にただそれだけ。
なんだけど・・・
月曜の朝、更衣室に入ったら早速「あら〜かわいい」なんて言われちゃって、着替えて検査室に入っていってもやっぱり「いいじゃない」などと声がかかる。
ちょっといい気分さ。
で、先輩技師のYさんと顔を合わせた。
34歳、女性の多い検査部では貴重な男性のYさんとは、都市が近いこともあって去年の4月に同じフロアーで仕事をするようになってから一番話をしている(聞いてくれる)相手。
「お、髪型変えたね!」
「パーマかけてみました」
「化粧も変えた?」
「わかりますぅ?」
「なんかあったの?」
「いや〜まぁ、春だし」
「ふ〜〜〜〜ん、春なんだ、いいなぁ」
いやいや、そういう意味じゃないですよ。
9時過ぎに別棟で検査をしているIさんが珍しくやってきた。
Iさんは大きな声じゃいえなんだけど、髪が薄い。
しかし検査部はみんなひどい。
「よく見ると赤ちゃんみたいにぽわぽわって生えてるよね」とか、「きれいに禿げちゃうと思ったけどがんばってる」などと平気で言う。
しかし本人もそれをネタにしているようなところがあるので、笑ってすんでしまうといういいキャラのおじさんだ。
Iさん、私の顔を見るなり頭を指差す。
「うらやましいですか?」(私もひどい)
「なんかあったの?」
「いや、春だし」
「ホントにそれだけ? いいことあったんじゃないの?」
それだけですよ。
午後、後輩のT君にも。
「イメチェンですか?」
「う〜ん、まあね」
「メイクも変えましたよね」
「みんなよく気付くね。…まぁ、春だし」
「春っすか。いいっすね」(ニヤリ)
あのねぇ・・・
世の男どもよ、女が変わった=「男」ってのは短絡的でないかい?
それはそうあって欲しいという願望なのか?
それとも私の周りだけなのか?
でも普通に否定しても面白くないので、
「さぁ〜〜ねぇ〜〜〜」
などと言ってグレーのままにしてある。
知らん、もう。
勝手にしてください。
約10年ぶりくらいかな、パーマかけたのは。
ふわっと春らしい仕上がりになって大満足。
メイクを変えた。
アイシャドーをパープル系からブルーに、口紅は深めのローズから少し明るいピンクに。
顔の印象がまったく違って見えるわけですよ。
春だから、とか関係なく、私は時々髪や顔を思いっきり変えたくなるのね。
本当にただそれだけ。
なんだけど・・・
月曜の朝、更衣室に入ったら早速「あら〜かわいい」なんて言われちゃって、着替えて検査室に入っていってもやっぱり「いいじゃない」などと声がかかる。
ちょっといい気分さ。
で、先輩技師のYさんと顔を合わせた。
34歳、女性の多い検査部では貴重な男性のYさんとは、都市が近いこともあって去年の4月に同じフロアーで仕事をするようになってから一番話をしている(聞いてくれる)相手。
「お、髪型変えたね!」
「パーマかけてみました」
「化粧も変えた?」
「わかりますぅ?」
「なんかあったの?」
「いや〜まぁ、春だし」
「ふ〜〜〜〜ん、春なんだ、いいなぁ」
いやいや、そういう意味じゃないですよ。
9時過ぎに別棟で検査をしているIさんが珍しくやってきた。
Iさんは大きな声じゃいえなんだけど、髪が薄い。
しかし検査部はみんなひどい。
「よく見ると赤ちゃんみたいにぽわぽわって生えてるよね」とか、「きれいに禿げちゃうと思ったけどがんばってる」などと平気で言う。
しかし本人もそれをネタにしているようなところがあるので、笑ってすんでしまうといういいキャラのおじさんだ。
Iさん、私の顔を見るなり頭を指差す。
「うらやましいですか?」(私もひどい)
「なんかあったの?」
「いや、春だし」
「ホントにそれだけ? いいことあったんじゃないの?」
それだけですよ。
午後、後輩のT君にも。
「イメチェンですか?」
「う〜ん、まあね」
「メイクも変えましたよね」
「みんなよく気付くね。…まぁ、春だし」
「春っすか。いいっすね」(ニヤリ)
あのねぇ・・・
世の男どもよ、女が変わった=「男」ってのは短絡的でないかい?
それはそうあって欲しいという願望なのか?
それとも私の周りだけなのか?
でも普通に否定しても面白くないので、
「さぁ〜〜ねぇ〜〜〜」
などと言ってグレーのままにしてある。
知らん、もう。
勝手にしてください。
立春も過ぎ
2004年2月5日気がつきゃ2月だよ。
先月末にお父さん無事退院。
幸い日常生活は人の手を借りずに何とかできるくらいまで運動機能は回復した。
とりあえず一安心。
このところずっと余裕がなかったな。
せっかく生けた花も枯れてる。
部屋は散らかり放題。
髪も伸び放題。
明日お休みもらったので美容院行ってきます。
土曜日は部屋を片付けて掃除機かけます。
日曜日は新しい花を生けます。
いろいろあったわけよ。
でも心を入れ替えてちょっとがんばろう。
もうすぐ春だしね。
先月末にお父さん無事退院。
幸い日常生活は人の手を借りずに何とかできるくらいまで運動機能は回復した。
とりあえず一安心。
このところずっと余裕がなかったな。
せっかく生けた花も枯れてる。
部屋は散らかり放題。
髪も伸び放題。
明日お休みもらったので美容院行ってきます。
土曜日は部屋を片付けて掃除機かけます。
日曜日は新しい花を生けます。
いろいろあったわけよ。
でも心を入れ替えてちょっとがんばろう。
もうすぐ春だしね。
父、入院
2003年12月10日父が倒れた。
脳出血だった。
一昨日、滅多に来ない母からの電話。
ナンバーディスプレイに「実家」と表示された瞬間、嫌な予感がした。
母からの電話は大抵いい報せではない。
父は夏に腸閉塞で入院してからずっと体調が悪く、仕事を休んでいた。
私も心配はしていたものの、まさかこんなことになろうとは思ってもみなかった。
翌日、実家に帰る。
まだ「回復室」という部屋に居り、面会も制限されているため、その日は病院には行かず、母と話した。
左脳視床部に出血、右半身麻痺、言語障害。
手術不可能な部位のため、点滴治療をし、出血が治まった後、必要ならリハビリということになったらしい。
その晩は気持ちのやり場がなく、とにかく泣いた。
父のこと、母のこと、これからのこと…。
いろいろなことが頭を巡ってしまい、ほとんど眠ることができずに朝を迎えた。
翌日、父を見舞った。
右半身麻痺と聞いていたのだが、右手を握ったり開いたりすることはできるらしい。
手に触れると感覚もわかるということだった。
そして言語障害も、発作のときよりはだいぶ良くなったようで、聞き取りにくいところもあるが思ったより話しもできるようで少しホッとした。
入院している間は病院に任せておけば大丈夫、と母は言う。
問題はそのあとだ。
実家は古い家なのでトイレはまだ和式だし、お風呂だって片麻痺ではひとりで入ることはできないだろう。
これからどうしよう、私はどうしていったらいいんだろう。
そんなことを考えて、また泣きながらアパートに戻ってきた。
一人で部屋にいることができず、Tを呼び出して全部話した。
そしてまた泣いた。
父がどの程度回復して退院するか今はまだわからない。
ただ、そのとき自分に何ができるのか、まだ時間はある。ゆっくり考えよう。
脳出血だった。
一昨日、滅多に来ない母からの電話。
ナンバーディスプレイに「実家」と表示された瞬間、嫌な予感がした。
母からの電話は大抵いい報せではない。
父は夏に腸閉塞で入院してからずっと体調が悪く、仕事を休んでいた。
私も心配はしていたものの、まさかこんなことになろうとは思ってもみなかった。
翌日、実家に帰る。
まだ「回復室」という部屋に居り、面会も制限されているため、その日は病院には行かず、母と話した。
左脳視床部に出血、右半身麻痺、言語障害。
手術不可能な部位のため、点滴治療をし、出血が治まった後、必要ならリハビリということになったらしい。
その晩は気持ちのやり場がなく、とにかく泣いた。
父のこと、母のこと、これからのこと…。
いろいろなことが頭を巡ってしまい、ほとんど眠ることができずに朝を迎えた。
翌日、父を見舞った。
右半身麻痺と聞いていたのだが、右手を握ったり開いたりすることはできるらしい。
手に触れると感覚もわかるということだった。
そして言語障害も、発作のときよりはだいぶ良くなったようで、聞き取りにくいところもあるが思ったより話しもできるようで少しホッとした。
入院している間は病院に任せておけば大丈夫、と母は言う。
問題はそのあとだ。
実家は古い家なのでトイレはまだ和式だし、お風呂だって片麻痺ではひとりで入ることはできないだろう。
これからどうしよう、私はどうしていったらいいんだろう。
そんなことを考えて、また泣きながらアパートに戻ってきた。
一人で部屋にいることができず、Tを呼び出して全部話した。
そしてまた泣いた。
父がどの程度回復して退院するか今はまだわからない。
ただ、そのとき自分に何ができるのか、まだ時間はある。ゆっくり考えよう。
夏の疲れ・・・
2003年10月7日2ヶ月ぶりっす。
「嵐の富士急ハイランド」も結局続編書かないしさ。(書かないんだ…)
夏はなんだかんだいろいろありました。
そして暑かった9月までを今年の夏として括ると、その夏の終わりに私はとうとう行ってきたのです。
太陽と情熱の国スペイン!
この歳で海外初デビュー、それもスペインということで、準備から後片付けまで含めると1ヶ月くらいゴタゴタしてたな。
でもー、スペインは良かったのよ!
初海外ということで、添乗員さんが全部面倒見てくれるツアーだったけど、そして移動移動で忙しかったけど、スペインの魅力を満喫してきました。
個人的にはやっぱりアンダルシアの街並みと、グラナダのアルハンブラ宮殿、そしてバルセロナのサグラダ・ファミリアがすごく印象に残ったな。
あまりゆっくり見られなかったアンダルシア地方の白壁の街・ミハスにはぜひまたゆっくり行きたいと思った。
しかし慣れない海外、そしてハードスケジュールの中、めったに引かない風邪を引き、さらに予定より早く生理になるわ、思ったとおり便秘するわで体調はイマイチ。
職場に復帰してからケホケホと乾いた咳を繰り返す私にみんなは、「スペイン風邪」だの「SARS」だのと勝手なことを言ってくれた。
でもまだ治らないんだよなぁ。疲れがたまっているのか歳のせいか…。
日本に帰ってから急に寒くなって、私の夏は終わったと改めて実感。
夏より冬の方が好きな私にとってはいい季節なんだけど、まだ冬の支度は何ひとつできていない。
アリかキリギリスかっていったら間違いなくキリギリスな私。
いつもギリギリっす。
「嵐の富士急ハイランド」も結局続編書かないしさ。(書かないんだ…)
夏はなんだかんだいろいろありました。
そして暑かった9月までを今年の夏として括ると、その夏の終わりに私はとうとう行ってきたのです。
太陽と情熱の国スペイン!
この歳で海外初デビュー、それもスペインということで、準備から後片付けまで含めると1ヶ月くらいゴタゴタしてたな。
でもー、スペインは良かったのよ!
初海外ということで、添乗員さんが全部面倒見てくれるツアーだったけど、そして移動移動で忙しかったけど、スペインの魅力を満喫してきました。
個人的にはやっぱりアンダルシアの街並みと、グラナダのアルハンブラ宮殿、そしてバルセロナのサグラダ・ファミリアがすごく印象に残ったな。
あまりゆっくり見られなかったアンダルシア地方の白壁の街・ミハスにはぜひまたゆっくり行きたいと思った。
しかし慣れない海外、そしてハードスケジュールの中、めったに引かない風邪を引き、さらに予定より早く生理になるわ、思ったとおり便秘するわで体調はイマイチ。
職場に復帰してからケホケホと乾いた咳を繰り返す私にみんなは、「スペイン風邪」だの「SARS」だのと勝手なことを言ってくれた。
でもまだ治らないんだよなぁ。疲れがたまっているのか歳のせいか…。
日本に帰ってから急に寒くなって、私の夏は終わったと改めて実感。
夏より冬の方が好きな私にとってはいい季節なんだけど、まだ冬の支度は何ひとつできていない。
アリかキリギリスかっていったら間違いなくキリギリスな私。
いつもギリギリっす。
嵐の富士急ハイランド〜行動編〜
2003年8月9日CHAGE&ASKAの野外ライブでは雨が降ったことはないらしい。反対に小田和正氏の野外ライブではなぜか雨が多いらしい…。
8月9日富士急ハイランド隣接コニファーフォレスト
小田和正、CHAGE&ASKAによるコラボレーションライブ
「サウンドコニファー229〜K.ODA&CHAGE&ASKA〜」
CHAGE&ASKAにとってこの夏最大のイベントは、台風10号日本上陸の日にぶち当たってしまった。
そもそも「夏」「野外」どちらも大の苦手だ。
イベントのことを知ったときも、正直迷った。
代々木や武道館なら行き慣れてるし、ひとりで行くのもどうってことないのだが、富士急ハイランドとなると…。
C&Aデビュー15周年記念のイベントでも同会場が使われ、当事埼玉に住んでいた私は無茶を承知で車(しかも軽だった)で出発、往きは高速代をケチって甲州街道を走り、帰りはラクしようと中央道に乗ったのはいいが、渋滞に巻き込まれて1時間以上もノロノロ運転を強いられた。
友達と富士急・河口湖周辺を旅行したときには、まだ世間知らずだった私たち、河口湖でぼったくりボートに乗せられなんだか解らぬままに高い金を払ったっけ…。
そんなわけで富士急ハイランドそのものにいい思い出はない。
しかしこんなライブ二度と観られないに違いない。
チケットも無事ファンクラブ先行予約でゲットした。
9年前と同じように、また車で行く。
そう決めていた。
前日夜から次第に強くなる風雨、当日午前5時、風が唸る音で目を覚ました。
8時に起きてNHKの台風情報に見入る。
予報では正午から午後6時までの降水確率は70%。6時からは0%。
予報円でもライブスタートの午後6時には暴風域は抜けそうだ。
でもこの嵐の中、会場設営なんてできるのか?
楽器は搬入できるのか?
何より本人たちは会場入りできるのか?
中止か!?
この時、心の中にはほんの少しだけ中止を願う自分がいた。
危険なドライブ、嵐の野外ライブ…。
本当に雨は止むの?
びしょ濡れになって声援を送って、ぐったりした体でまた運転して帰って来られる?
もう…若くないしさ。
朝8時30分、ディスクガレージの情報ダイヤルにかけると、イベント「決行」。
あれほど迷っていたのにこの瞬間心は決まった。
なんだかんだ言ってても、結局はこうなのだ。
行くしかないでしょ…。
そして愛車・赤い彗星号(笑)に乗り込んだのは10時過ぎ。
そこから長い道程が始まった。
まずは東北道を南へ。
時折強風で車体が煽られるのがはっきりわかる。
こ…こわっ!
無理なドライブは避けようと、蓮田のサービスエリアで1回目の休憩をした。
最新の道路情報と気象情報を頭に叩き込み、再び出発。
首都高はどうしても怖かったし(ルートもわからないし)、どうせ渋滞しているという頭があったので、外環を抜けていったん高速を下り、高井戸から中央道に乗るつもりだった。
それにしても環八って混んでるのね。
地図上ではたいした距離じゃないのに時間が掛かった掛かった。
そしてこの頃になると風雨は最高潮。
前が見えないくらいものすごい雨になったり、風に飛ばされた木の枝がフロントガラスにぶつかって来たり。
田舎者に都内の道路は怖いのよ。
そんなこんなでとろとろ運転をしていたら、なんと高井戸のICをやり過ごしてしまったのだ。
でもまあ焦ることはない。
以前のように国道20号に入って、途中で中央道に乗ればいいだけの話だ。
なんて構えていたら、調布インターを前にとんでもない事態が発生した。
甲州街道に入っても相変わらず道は混雑していた。
iモードで調べたところ、中央道は大月インターまで通行止めの区間はなく、スムーズに流れてるらしい。
まもなく調布インター、ここで乗ってしまえと思ったとき、後ろからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
雨音に負けないよう音量を上げていたCDの音を絞って耳を澄まし、バックミラーを見るともうそこまで来ている。
車を左に寄せてパトカーをやり過ごすと、すぐ先で停車した。
え…?
そんなバカな。
街路樹のけやきがポッキリと折れ、全車線をふさいで横倒しになっていたのだ。
生い茂る枝葉に阻まれ、上り線は完全ストップ。
ここまでか…。
寝不足を押して出発したのに…。
金欠だけどハイウェイカード買ったのに…。
だけど神はいるね。
この時、私のいた下り左車線だけ幹の下にわずかなスペースがあり、車高の低い車なら通り抜けていくことができた。
すでにパトカーは到着していたが、交通規制が始まる直前、私は運良くその危険な場所を無事通過!
※危険です。本当はやってはいけません。
すべてはおまえとこの愛のために! (CHAGE&ASKA/この愛のために)
なんだこれ、続く…のか!?
8月9日富士急ハイランド隣接コニファーフォレスト
小田和正、CHAGE&ASKAによるコラボレーションライブ
「サウンドコニファー229〜K.ODA&CHAGE&ASKA〜」
CHAGE&ASKAにとってこの夏最大のイベントは、台風10号日本上陸の日にぶち当たってしまった。
そもそも「夏」「野外」どちらも大の苦手だ。
イベントのことを知ったときも、正直迷った。
代々木や武道館なら行き慣れてるし、ひとりで行くのもどうってことないのだが、富士急ハイランドとなると…。
C&Aデビュー15周年記念のイベントでも同会場が使われ、当事埼玉に住んでいた私は無茶を承知で車(しかも軽だった)で出発、往きは高速代をケチって甲州街道を走り、帰りはラクしようと中央道に乗ったのはいいが、渋滞に巻き込まれて1時間以上もノロノロ運転を強いられた。
友達と富士急・河口湖周辺を旅行したときには、まだ世間知らずだった私たち、河口湖でぼったくりボートに乗せられなんだか解らぬままに高い金を払ったっけ…。
そんなわけで富士急ハイランドそのものにいい思い出はない。
しかしこんなライブ二度と観られないに違いない。
チケットも無事ファンクラブ先行予約でゲットした。
9年前と同じように、また車で行く。
そう決めていた。
前日夜から次第に強くなる風雨、当日午前5時、風が唸る音で目を覚ました。
8時に起きてNHKの台風情報に見入る。
予報では正午から午後6時までの降水確率は70%。6時からは0%。
予報円でもライブスタートの午後6時には暴風域は抜けそうだ。
でもこの嵐の中、会場設営なんてできるのか?
楽器は搬入できるのか?
何より本人たちは会場入りできるのか?
中止か!?
この時、心の中にはほんの少しだけ中止を願う自分がいた。
危険なドライブ、嵐の野外ライブ…。
本当に雨は止むの?
びしょ濡れになって声援を送って、ぐったりした体でまた運転して帰って来られる?
もう…若くないしさ。
朝8時30分、ディスクガレージの情報ダイヤルにかけると、イベント「決行」。
あれほど迷っていたのにこの瞬間心は決まった。
なんだかんだ言ってても、結局はこうなのだ。
行くしかないでしょ…。
そして愛車・赤い彗星号(笑)に乗り込んだのは10時過ぎ。
そこから長い道程が始まった。
まずは東北道を南へ。
時折強風で車体が煽られるのがはっきりわかる。
こ…こわっ!
無理なドライブは避けようと、蓮田のサービスエリアで1回目の休憩をした。
最新の道路情報と気象情報を頭に叩き込み、再び出発。
首都高はどうしても怖かったし(ルートもわからないし)、どうせ渋滞しているという頭があったので、外環を抜けていったん高速を下り、高井戸から中央道に乗るつもりだった。
それにしても環八って混んでるのね。
地図上ではたいした距離じゃないのに時間が掛かった掛かった。
そしてこの頃になると風雨は最高潮。
前が見えないくらいものすごい雨になったり、風に飛ばされた木の枝がフロントガラスにぶつかって来たり。
田舎者に都内の道路は怖いのよ。
そんなこんなでとろとろ運転をしていたら、なんと高井戸のICをやり過ごしてしまったのだ。
でもまあ焦ることはない。
以前のように国道20号に入って、途中で中央道に乗ればいいだけの話だ。
なんて構えていたら、調布インターを前にとんでもない事態が発生した。
甲州街道に入っても相変わらず道は混雑していた。
iモードで調べたところ、中央道は大月インターまで通行止めの区間はなく、スムーズに流れてるらしい。
まもなく調布インター、ここで乗ってしまえと思ったとき、後ろからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
雨音に負けないよう音量を上げていたCDの音を絞って耳を澄まし、バックミラーを見るともうそこまで来ている。
車を左に寄せてパトカーをやり過ごすと、すぐ先で停車した。
え…?
そんなバカな。
街路樹のけやきがポッキリと折れ、全車線をふさいで横倒しになっていたのだ。
生い茂る枝葉に阻まれ、上り線は完全ストップ。
ここまでか…。
寝不足を押して出発したのに…。
金欠だけどハイウェイカード買ったのに…。
だけど神はいるね。
この時、私のいた下り左車線だけ幹の下にわずかなスペースがあり、車高の低い車なら通り抜けていくことができた。
すでにパトカーは到着していたが、交通規制が始まる直前、私は運良くその危険な場所を無事通過!
※危険です。本当はやってはいけません。
すべてはおまえとこの愛のために! (CHAGE&ASKA/この愛のために)
なんだこれ、続く…のか!?
休日出勤
2003年7月13日仕事は10:30には終わりました。
しかし、血液製剤の納品待ちのため、何もすることが無いのに14時過ぎまで待ってなきゃいけない。
あと・・・3時間くらいかな。
そんなわけでサボりまくっていた日記を更新。
夏が来る。夏が来るよ。
昨日は暑かった。30℃をちょっと超えたくらいだったようだが、もうこれで夏は十分です、と言いたい。
だって夏キライなんだよ。
夏か冬かと言われたら、断然冬がいい。
寒いのは着込めばなんとかなるし、部屋の中はストーブで暖かくできる。
夜も布団の中が暖まると気持ちいいし、起きたくないくらい朝寝が幸せだぞ。
それになんといっても冬は大っ嫌いな虫がいない。
もうそれだけで冬最高。
この間、9時ごろアパートに帰ってきたら、階段を上りきって玄関に続く通路のところにでっかいクモがいた。しかも巣作り中。
あ゛ーーーー通れねぇ!
体を低くしてささっと通れば大丈夫か?
いやいや、どこに糸が張ってるか分からないし、万一引っかかってクモが襲ってきたらどうするのよ!?
そうやってしばらく固まったまま考えていたが、どうしてもこのままそこを通る勇気はわかなかった。
そこで一度車に退却。
…どうすっかなぁ。まさかこのままここで一夜を明かすわけにはいかないし。
いやいや、ヤツに挑むくらいならここで寝る…いやいやいやいや、このままずっと部屋に入らない気か、私。
ふと後部座席を見ると、いつか突然雨に降られたときに買ったビニール傘が投げ出してあった。
救う神あり!
傘を握り締め、今度こそ部屋に入るべく階段を上がる。
もちろんまだヤツは一心不乱に作業中だった。
しかしさっきより少し上のほうにいる。
今しかねえ。
そして私は思いっきり腰が引けた格好で、傘の先を振り回しながら無事に危険ゾーンを通過。
やった! これで風呂にも入れるし、ベッドで眠れる。
…ってなにやってるんだ、私。
だから夏は嫌いです。
しかし、血液製剤の納品待ちのため、何もすることが無いのに14時過ぎまで待ってなきゃいけない。
あと・・・3時間くらいかな。
そんなわけでサボりまくっていた日記を更新。
夏が来る。夏が来るよ。
昨日は暑かった。30℃をちょっと超えたくらいだったようだが、もうこれで夏は十分です、と言いたい。
だって夏キライなんだよ。
夏か冬かと言われたら、断然冬がいい。
寒いのは着込めばなんとかなるし、部屋の中はストーブで暖かくできる。
夜も布団の中が暖まると気持ちいいし、起きたくないくらい朝寝が幸せだぞ。
それになんといっても冬は大っ嫌いな虫がいない。
もうそれだけで冬最高。
この間、9時ごろアパートに帰ってきたら、階段を上りきって玄関に続く通路のところにでっかいクモがいた。しかも巣作り中。
あ゛ーーーー通れねぇ!
体を低くしてささっと通れば大丈夫か?
いやいや、どこに糸が張ってるか分からないし、万一引っかかってクモが襲ってきたらどうするのよ!?
そうやってしばらく固まったまま考えていたが、どうしてもこのままそこを通る勇気はわかなかった。
そこで一度車に退却。
…どうすっかなぁ。まさかこのままここで一夜を明かすわけにはいかないし。
いやいや、ヤツに挑むくらいならここで寝る…いやいやいやいや、このままずっと部屋に入らない気か、私。
ふと後部座席を見ると、いつか突然雨に降られたときに買ったビニール傘が投げ出してあった。
救う神あり!
傘を握り締め、今度こそ部屋に入るべく階段を上がる。
もちろんまだヤツは一心不乱に作業中だった。
しかしさっきより少し上のほうにいる。
今しかねえ。
そして私は思いっきり腰が引けた格好で、傘の先を振り回しながら無事に危険ゾーンを通過。
やった! これで風呂にも入れるし、ベッドで眠れる。
…ってなにやってるんだ、私。
だから夏は嫌いです。
世の中冷たい
2003年5月20日ジャスコお客様感謝デーの日は、化粧品が20%オフ。
しかも私が使っている化粧水は今回25%引きということで、これを逃がしちゃいかんと仕事が終わってから買いに行った。
しかし、ガソリンを入れてオイル交換までして、さらに道は混んでいるわで店に着いたのは7時半過ぎ。
買い物が終わったのは8時近くだった。
昼食を食べてから飲まず食わずだったので、来る途中からお腹が空いて倒れそうだった。
しかもダイエットを始めたせいか、久しぶりに低血糖発作に見舞われそうな予感もする。
いかん、これでは帰り道45分持たない。
冷や汗と震えのきた体で車を運転したら中央分離帯に突っ込みそうだ。
とりあえず、何か甘い飲み物を飲んで血糖値を上げてから帰ることにした。
今月も財政難の色濃いので自販機でミルクたっぷりのコーヒーでも買うことにする。
しかし自販機を何台探しても、あったかい飲み物が置いてない!
腹減ってんだよ。しかも低血糖で寒いんだよ。
しかしどれだけ探してもないんだ。
表示は全部「つめた〜い」…。
余計体冷やしてどうすんだ。
あーもういいよ、分かったよ。
5月になったらあったかい飲み物なんか売れないってわけかよ。
何も飲まずに帰るさ。
途中で気が遠くなって反対車線にフゥッと突っ込んだりしたらいちばん最初におまえらのところに化けて出るからな!(おまえらって誰?)
で、本当にフラフラになりながら意地で帰った。
そこになきゃコンビニにでもなんでも寄ればいいのに、このときは絶対このまま帰ってやると思ったんだよね。
人間空腹になると、平常心ではいられなくなるらしい。
私だけか。
しかも私が使っている化粧水は今回25%引きということで、これを逃がしちゃいかんと仕事が終わってから買いに行った。
しかし、ガソリンを入れてオイル交換までして、さらに道は混んでいるわで店に着いたのは7時半過ぎ。
買い物が終わったのは8時近くだった。
昼食を食べてから飲まず食わずだったので、来る途中からお腹が空いて倒れそうだった。
しかもダイエットを始めたせいか、久しぶりに低血糖発作に見舞われそうな予感もする。
いかん、これでは帰り道45分持たない。
冷や汗と震えのきた体で車を運転したら中央分離帯に突っ込みそうだ。
とりあえず、何か甘い飲み物を飲んで血糖値を上げてから帰ることにした。
今月も財政難の色濃いので自販機でミルクたっぷりのコーヒーでも買うことにする。
しかし自販機を何台探しても、あったかい飲み物が置いてない!
腹減ってんだよ。しかも低血糖で寒いんだよ。
しかしどれだけ探してもないんだ。
表示は全部「つめた〜い」…。
余計体冷やしてどうすんだ。
あーもういいよ、分かったよ。
5月になったらあったかい飲み物なんか売れないってわけかよ。
何も飲まずに帰るさ。
途中で気が遠くなって反対車線にフゥッと突っ込んだりしたらいちばん最初におまえらのところに化けて出るからな!(おまえらって誰?)
で、本当にフラフラになりながら意地で帰った。
そこになきゃコンビニにでもなんでも寄ればいいのに、このときは絶対このまま帰ってやると思ったんだよね。
人間空腹になると、平常心ではいられなくなるらしい。
私だけか。
夏までに2kg
2003年5月16日冬の間にジリ増した体重を戻さなければならない。
増えたといっても1kgくらいなんだけどさ。
去年はなんだか知らないけど、春から秋にかけて4〜5?くらい痩せたのよ。
あれ、なんでかなぁ。
いや、なんでだろう〜♪
しかしあれだね。
2?。
こうやって書くとたいしたことないように思うけど、意外と落ちないんだな。
言いたくないけどやっぱ歳のせいかね。
若い頃はこの日が勝負と決めたら2?くらいは割と簡単に落とせたのよ。
そうさね、2?だったら2週間あればイケたかな。
というわけで、2週間は無理なので、梅雨が明けるまで(まだ突入してないけど)2ヶ月、これだけあればなんとかなるだろ。
どっちにしても私の本気がどこまで出せるか次第なんだけどさ。
ゆるゆると始めます。
増えたといっても1kgくらいなんだけどさ。
去年はなんだか知らないけど、春から秋にかけて4〜5?くらい痩せたのよ。
あれ、なんでかなぁ。
いや、なんでだろう〜♪
しかしあれだね。
2?。
こうやって書くとたいしたことないように思うけど、意外と落ちないんだな。
言いたくないけどやっぱ歳のせいかね。
若い頃はこの日が勝負と決めたら2?くらいは割と簡単に落とせたのよ。
そうさね、2?だったら2週間あればイケたかな。
というわけで、2週間は無理なので、梅雨が明けるまで(まだ突入してないけど)2ヶ月、これだけあればなんとかなるだろ。
どっちにしても私の本気がどこまで出せるか次第なんだけどさ。
ゆるゆると始めます。
やっちまった
2003年5月3日久しぶりにTと買い物三昧。
Aの結婚式の衣装を揃えに行って以来だから2ヶ月ぶりだ。
そのとき金を使いすぎ、さらにその後忙しくなりで2ヶ月間まったく服を買っていなかった。
すごい私、やればできるじゃん。
しかし、買い物はダイエットと一緒で必ずリバウンドするものらしい。
いつものショッピングセンターで朝10時半から夕方5時半までうろうろ、うだうだ。
途中遅い昼食をとったのがいい休憩になり、後半は脳内麻薬が耳から染み出してきそうなくらい盛り上がった。
うん、盛り上がった。
楽しかった。
えっとー… 給料日まであと…
Aの結婚式の衣装を揃えに行って以来だから2ヶ月ぶりだ。
そのとき金を使いすぎ、さらにその後忙しくなりで2ヶ月間まったく服を買っていなかった。
すごい私、やればできるじゃん。
しかし、買い物はダイエットと一緒で必ずリバウンドするものらしい。
いつものショッピングセンターで朝10時半から夕方5時半までうろうろ、うだうだ。
途中遅い昼食をとったのがいい休憩になり、後半は脳内麻薬が耳から染み出してきそうなくらい盛り上がった。
うん、盛り上がった。
楽しかった。
えっとー… 給料日まであと…
そろそろ
2003年5月1日ちょうど1ヶ月日記の更新をお休みし(その前もたいしてマメに書いちゃいなかったけどさ)まあその間いろいろあったさ。
んで、その「いろいろ」な気持ちを整理するためにもこれは必要だなと思った。
だからまたダラダラ書いていこうかと思う。
私の日記をお気に入りに入れてくれてた人もそろそろ見限って訪れなくなっただろうし、新しい気持ちでね。
でもとりあえず今日は寝よう。
明日から明日から。
ダイエットも明日から。
んで、その「いろいろ」な気持ちを整理するためにもこれは必要だなと思った。
だからまたダラダラ書いていこうかと思う。
私の日記をお気に入りに入れてくれてた人もそろそろ見限って訪れなくなっただろうし、新しい気持ちでね。
でもとりあえず今日は寝よう。
明日から明日から。
ダイエットも明日から。
休暇届
2003年3月31日墓場だ…。
もうこれは日記じゃないってば。
超多忙の2月、脱力の3月、そして内部異動になってしまった4月…。
そう、明日から新しい仕事。
ってなわけで、もうしばらく休暇にします。
もう、誰も気づいていないだろうけど。
もうこれは日記じゃないってば。
超多忙の2月、脱力の3月、そして内部異動になってしまった4月…。
そう、明日から新しい仕事。
ってなわけで、もうしばらく休暇にします。
もう、誰も気づいていないだろうけど。
終わった…
2003年3月2日昨日、同期Aの結婚式が終わった。
これで忙しかった1ヶ月が終わり、元の日常が戻ってくるわけだ。
「すべては3月1日に」と照準を合わせてテンションを持ってきただけに、今日はすっかり気が抜けてしまい何をしたらいいのかわからない。
昼過ぎに起きてだらだらと過ごしてきたが、これからどうしたらいいんだよ!?
夕方Tと電話で話す。
Tも私と一緒で何をしていいかわからないしやる気もないという。
終いには「これからどう生きていったらいいんだろうとか考えちゃうよねー」と言うことまで話し、とりあえず明日あって反省会をするということになった。
あーもう本当にダメダメだー。
このところウェルカムボード作成のため毎日寝るのが遅くていつも以上に睡眠不足。
夜9時ごろに気持ち悪くなってきた。
とりあえず体力の回復を図ろう。
で、また明日のことは明日考えるとするか。
これで忙しかった1ヶ月が終わり、元の日常が戻ってくるわけだ。
「すべては3月1日に」と照準を合わせてテンションを持ってきただけに、今日はすっかり気が抜けてしまい何をしたらいいのかわからない。
昼過ぎに起きてだらだらと過ごしてきたが、これからどうしたらいいんだよ!?
夕方Tと電話で話す。
Tも私と一緒で何をしていいかわからないしやる気もないという。
終いには「これからどう生きていったらいいんだろうとか考えちゃうよねー」と言うことまで話し、とりあえず明日あって反省会をするということになった。
あーもう本当にダメダメだー。
このところウェルカムボード作成のため毎日寝るのが遅くていつも以上に睡眠不足。
夜9時ごろに気持ち悪くなってきた。
とりあえず体力の回復を図ろう。
で、また明日のことは明日考えるとするか。
ふっきれた!
2003年2月5日あまりにやることが多すぎて、もう何をしたらいいのか判らず焦ってばかりだった先週までの私。
体調も最悪だったし、本当に余裕がなかった。
でも、結局やるしかないんだよね。
今日、Aの結婚お祝い会をやる候補の店に電話して詳細を聞いたので、明日には予約しちまおう。
で、お知らせを作って回覧して来週中には出欠をとってあとは当日を待つだけ。
それでこの件は終わり。
京都旅行も明日中に同行の連中と連絡をとって、週末に最終計画を練ってそれで終わりにする。
ウェディングボードは旅行から帰ってきたらすぐに着手する。
土曜日に美容院に行って髪を切っちまう。
結婚式前日か当日の朝、セットしてもらいに行くのはもう無理なのでストパーかけて手間要らずにしてしまう。
日曜日にTとカラオケに行って余興で歌う曲を決めてしまう。
水曜のフラメンコも金曜のカリグラフィーも行くさ。
とにかくそうやってひとつひとつこなしていかなきゃ。
考えているだけじゃどうにもならないよ。
ってなわけで、2週間の体調不良を乗り切って、ようやく「やるしかねぇ!」の気合がわいてきた。
ちょっと遅かったけどね。
でも、いつも追い込まれないと始めない私のことだ。
これまでだって乗り切ってきた。
だからやってやる。
スケジュール帳は真っ黒だけど、すべては3月1日には終わるんだ。
がんばれ、私。
う〜ん…何か抜けている気がしないでもないけど。
体調も最悪だったし、本当に余裕がなかった。
でも、結局やるしかないんだよね。
今日、Aの結婚お祝い会をやる候補の店に電話して詳細を聞いたので、明日には予約しちまおう。
で、お知らせを作って回覧して来週中には出欠をとってあとは当日を待つだけ。
それでこの件は終わり。
京都旅行も明日中に同行の連中と連絡をとって、週末に最終計画を練ってそれで終わりにする。
ウェディングボードは旅行から帰ってきたらすぐに着手する。
土曜日に美容院に行って髪を切っちまう。
結婚式前日か当日の朝、セットしてもらいに行くのはもう無理なのでストパーかけて手間要らずにしてしまう。
日曜日にTとカラオケに行って余興で歌う曲を決めてしまう。
水曜のフラメンコも金曜のカリグラフィーも行くさ。
とにかくそうやってひとつひとつこなしていかなきゃ。
考えているだけじゃどうにもならないよ。
ってなわけで、2週間の体調不良を乗り切って、ようやく「やるしかねぇ!」の気合がわいてきた。
ちょっと遅かったけどね。
でも、いつも追い込まれないと始めない私のことだ。
これまでだって乗り切ってきた。
だからやってやる。
スケジュール帳は真っ黒だけど、すべては3月1日には終わるんだ。
がんばれ、私。
う〜ん…何か抜けている気がしないでもないけど。
ふんだりけったり踏まれたり蹴られたり(?)
2003年2月3日1週間辛かった…。
理由は主に体調不良。
風邪を治すために私の免疫機能は全力を使い果たしてしまったらしい。
火曜日(1/28)の夜、風呂上りに内股が痒くなった。
内股だがひとり暮しなので掻くことに何の抵抗もない。両手をパジャマのズボンから足の間に突っ込んでガリガリガリ…。
結果、小さな湿疹かと思われたそれはひとつひとつが大きくなり、やがて大陸のようにつながって……蕁麻疹だっ!!
その夜は最悪。
ピークは真夜中3時から4時で、ほぼ全身に広がった蕁麻疹と闘い続けた。
掻いちゃダメだ、掻いちゃダメ、余計に広がって痒くなる…我慢して我慢して我慢して…うきゃーーーっ! ガリガリガリ…。
これを繰り返す。
一番ツラかったのが手の平に来てしまったこと。
手が痒いってこんなに苦しいのか。
刺すような痒み(解るかなぁ、これ)が大波小波で何度も襲ってくる。
パンパンに張ってドラえもんのようになってしまった手で、他の場所を叩く。擦る。そして掻く。
はじめはとにかく眠らないと明日がツライ、ということばかり考えていたが、やがて眠れなくていいからとにかく朝よ来いと願いつづけた。
…そして朝。
結局2時間ほど眠ったようだが、起きて服を脱いでみると全身に引っかいた跡が残っていた。
そのうえ連日の目眩だ。
目眩はとにかく疲れて体力が落ちてくると確実に起こるのだが、こんなに毎日続いたのは初めてだった。
メリスロン(病院で出してもらっている目眩の薬)も効きゃしない。
さらに腰痛。
月曜(1/27)の朝、腰が痛いなーと思いつつ顔を洗ったらそのまま上体を起こせなくなってしまった。
ぎっくり腰じゃなかったのだが、3日くらいは車を運転するのも容易じゃなかった。
アクセルとブレーキ踏みかえようとするとすごい痛みが走るんだもん。
危ないぞ。
土曜日は出勤。
バタバタしつつも定時(12:30)で帰り、4時過ぎにお昼寝タイム。
休日当番の午後はPHSを持たされているので落ち着いて外出もできない。
だからたいてい昼寝する。どうせ鳴るわけないしな(1/25 働けど働けど… 参照)。
ところが今日に限って鳴るんだよ。
入眠から1時間を過ぎ、一番気持ちのいい時間、夢も見てた。
誰かがドアを開けた。途端に鳴り響く非常ベル。
非常ベル?
違う、私は寝てる。これは目覚まし代わりのタイマーの音だ。
タイマー?
違う、PHSの呼び出し音だよ。
吐血した患者の輸血準備のために再び病院へ向かうことになった。
もうねえ、ほんとに疲れたよ。
今週は何事もなく、静かに暮らしたいもんだ。
今日外来で、インフルエンザの患者と知らずに採血しちゃったけど…。
まだ体調は万全じゃない今、感染していないことを祈るのみ。
理由は主に体調不良。
風邪を治すために私の免疫機能は全力を使い果たしてしまったらしい。
火曜日(1/28)の夜、風呂上りに内股が痒くなった。
内股だがひとり暮しなので掻くことに何の抵抗もない。両手をパジャマのズボンから足の間に突っ込んでガリガリガリ…。
結果、小さな湿疹かと思われたそれはひとつひとつが大きくなり、やがて大陸のようにつながって……蕁麻疹だっ!!
その夜は最悪。
ピークは真夜中3時から4時で、ほぼ全身に広がった蕁麻疹と闘い続けた。
掻いちゃダメだ、掻いちゃダメ、余計に広がって痒くなる…我慢して我慢して我慢して…うきゃーーーっ! ガリガリガリ…。
これを繰り返す。
一番ツラかったのが手の平に来てしまったこと。
手が痒いってこんなに苦しいのか。
刺すような痒み(解るかなぁ、これ)が大波小波で何度も襲ってくる。
パンパンに張ってドラえもんのようになってしまった手で、他の場所を叩く。擦る。そして掻く。
はじめはとにかく眠らないと明日がツライ、ということばかり考えていたが、やがて眠れなくていいからとにかく朝よ来いと願いつづけた。
…そして朝。
結局2時間ほど眠ったようだが、起きて服を脱いでみると全身に引っかいた跡が残っていた。
そのうえ連日の目眩だ。
目眩はとにかく疲れて体力が落ちてくると確実に起こるのだが、こんなに毎日続いたのは初めてだった。
メリスロン(病院で出してもらっている目眩の薬)も効きゃしない。
さらに腰痛。
月曜(1/27)の朝、腰が痛いなーと思いつつ顔を洗ったらそのまま上体を起こせなくなってしまった。
ぎっくり腰じゃなかったのだが、3日くらいは車を運転するのも容易じゃなかった。
アクセルとブレーキ踏みかえようとするとすごい痛みが走るんだもん。
危ないぞ。
土曜日は出勤。
バタバタしつつも定時(12:30)で帰り、4時過ぎにお昼寝タイム。
休日当番の午後はPHSを持たされているので落ち着いて外出もできない。
だからたいてい昼寝する。どうせ鳴るわけないしな(1/25 働けど働けど… 参照)。
ところが今日に限って鳴るんだよ。
入眠から1時間を過ぎ、一番気持ちのいい時間、夢も見てた。
誰かがドアを開けた。途端に鳴り響く非常ベル。
非常ベル?
違う、私は寝てる。これは目覚まし代わりのタイマーの音だ。
タイマー?
違う、PHSの呼び出し音だよ。
吐血した患者の輸血準備のために再び病院へ向かうことになった。
もうねえ、ほんとに疲れたよ。
今週は何事もなく、静かに暮らしたいもんだ。
今日外来で、インフルエンザの患者と知らずに採血しちゃったけど…。
まだ体調は万全じゃない今、感染していないことを祈るのみ。